集団と方向性と恋愛と幸福の追求
2007年7月24日あーもう
何でみんなこんなに苦しい恋愛してんのかなって思う。
恋愛も苦しいが
友達関係も苦しくて、難しい問題が沢山ある。
私には短大に入って初めて
「グループ交際」的友人達が出来た。
しかしそれがとんでもなく面倒くさくて
今まで個人行動主義な上に
恋愛云々と関係の薄い高校生活を送っていたので
これが、本当、笑えるくらい面倒くさい’`,、(’∀`)’`,、
私はそのグループの子たちが好きだが
どうにもこうにも系統が違うので
最近は口ピでV系の美人ヲタクと仲良しです。
彼女は違うグループの子なんだけれど
気付いたらすっかり仲良しになっていた。
彼女とはすっかり全ての話をし、
私も彼女の抱える様々な問題を聞いた。
普段は二人でハレ晴れユカイを踊り、
もってけ!セーラーふくの色んなバージョンを見たり、
超オープンなヲタクとして生活しています。
彼女の他にも
私はグループの子たち以外で沢山の親しい友人が出来た。
元々一つのものに縛られるのが大嫌いなので
放浪生活的な感じで性に合っているのだけれど
なんつーか、それでも固定グループが存在するというのは
大変不思議な事だなぁと思った。
それと同時に、
私は深くそのグループの入り込むことを止めてしまった。
何故ならそんな事をしてもちっとも面白くないから。
「グループという単位」の友人は、所詮グループであり、
個別の友人ではない気がした。
というか、私と彼女らの間には元々壁があった。
全く理解出来ないという種類の壁。
この時期になってくると
学年の雰囲気は大きく2つに分かれる。
勉強する人と、全くしない人。
この2種類しかいない。
中間は存在しない。
そしてスルスルと離れていく。
同じグループの中でも、勉強する子しない子がいて
試験中だけは一緒に行動する仲間というのも誕生する。
友達という組織は面白いものだなぁと関心すらする。
勉強のスタイルは人それぞれ。
黙々と一人で勉強する人もいれば、
団体でギャーギャー騒ぎながらやる人もいる。
私なんかは半々状態なんだけど、
一緒に勉強する人がいるっていうのはいいなって思う。
一緒に同じ事覚えて、説明して答えてってそういうやり取り。
高校時代は黙々系だったので、
こういう一緒にっていうのも楽しくていいなと思う。
でもその為には黙々とやる時間も必要で
私の場合1時間周期でそれを繰り返しているので
純粋な黙々系の人は耐えられないらしい。
まぁ勉強のスタイルの話は置いておいて、
勉強をする人たちは本気で資格獲得に向けて頑張ろうと考える。
今まで目標として曖昧だった「保育士」という名称のものを
より身近なものとして捕らえ、
とりあえずやってみっか☆的思考になってくる。
向き不向きをこの年齢で見定めるのは難しい。
とっておいて損な資格ではないし
資格をとろうという姿勢自体が、一生懸命やるという事が
この先の人生において非常に大事だと思うから、
悩んでいて、勉強しそうな子には一緒にやろうと言ってみたりする。
そこでアレなのは勉強しない人。
半数くらいはそれに当たる。
元々付属高からのエスカレーターの人が多いし、
その付属高はお世辞にも勉強する学校とは言えないので
当然といえば当然の結果なのかもしれない。
(勿論付属高上がりの人でも勉強する人は沢山いる)
別段関わりのない人なら、どうぞご自由にといった感じだけれど
同じグループ内、または身近にそういう子がいる場合
なかなか難しいなと思う。
始めから「勉強なんかしたくもない」という意識をもった短大生に
勉強をした方が良いんじゃないかと促す事はかなり難しい。
勉強するかしないかは、個人の問題なんだ。
短大を続けるか続けないかと同じで。
悲しいのは
「勉強することが格好悪い」という風潮がある事。
必死になったり、真面目になったりする事を
「マジありえなくね〜?」とかいう言葉で片付けられると腹が立つ。
でもこの時期勉強する人側に入っている子は
「勝手に言わせておけばいい」と認識している子がほとんどなので
雰囲気としては完全に真っ二つの分かれている。
点数も(再試―60点台―80点以上)のほぼ3通りらしい。
私はどの辺かっつーと、
多分60〜80点台のビミョーゾーンだと思われる。
正直私は超頑張っているわけでもないが
全く頑張っていないわけでもない。
必死こいてやるのは前日付近だけだし、
今だって明日社会福祉と国語科概説があるのに
のんきに日記なんて書いている^^
でも今日はいいんだ〜☆
1限に授業終わって、それから19時近くまで勉強したから。
あっという間だったけどね(^ω^)
その後の日程がリアルにヤバイので心配です’`,、(’∀`)’`,、
学校で勉強→ドトールで勉強的サイクルになる可能性大だな☆
恋愛の話から全然全く関係ない話になってしまた☆
恋愛の話は、個人のプライベートの問題なので書きませんが
人の好きな人がすぐにわかってしまう私は
なかなか世知辛い感じの学生ライフを送ってます。
それが友達の好きな人関連とかだったりすると
マジウンコメンドー☆なんだよね^^
あー嫌だなぁって思う。
やれ、みんなが幸せになる方法はないものか。
ないな。
幸せな人が半分いたら
後の半分は確実に涙を流しているだろうから。
世界全部が平和で、幸せな事を望むのは悲しいことだろうか。
それは間違っているだろうか。
全ての人の幸せを願い、今、ほら打っている間にも死んでいく人が、
そういうの考えたらきりないけれど
でも福祉やら養護の仕事をしていると考えないわけにはいかない。
平等は理想論だろうか。
ノーマライゼーションが浸透することは難しいのだろうか。
何故全ての人が全ての人の幸せを希求しないのだろうか。
どうして世界が平和になる方法を検討しないのだろうか。
社会福祉は大きな課題だと思う。
福祉という言葉は本当に広い。
そして自分の小ささに涙が出てくる。
何て無力なんだろうと思う。
私一人で世界は動かせない。
その現実。
福祉に関してはまたいつか書きます。
書きたい事がありすぎて溢れそうだーうおー
何でみんなこんなに苦しい恋愛してんのかなって思う。
恋愛も苦しいが
友達関係も苦しくて、難しい問題が沢山ある。
私には短大に入って初めて
「グループ交際」的友人達が出来た。
しかしそれがとんでもなく面倒くさくて
今まで個人行動主義な上に
恋愛云々と関係の薄い高校生活を送っていたので
これが、本当、笑えるくらい面倒くさい’`,、(’∀`)’`,、
私はそのグループの子たちが好きだが
どうにもこうにも系統が違うので
最近は口ピでV系の美人ヲタクと仲良しです。
彼女は違うグループの子なんだけれど
気付いたらすっかり仲良しになっていた。
彼女とはすっかり全ての話をし、
私も彼女の抱える様々な問題を聞いた。
普段は二人でハレ晴れユカイを踊り、
もってけ!セーラーふくの色んなバージョンを見たり、
超オープンなヲタクとして生活しています。
彼女の他にも
私はグループの子たち以外で沢山の親しい友人が出来た。
元々一つのものに縛られるのが大嫌いなので
放浪生活的な感じで性に合っているのだけれど
なんつーか、それでも固定グループが存在するというのは
大変不思議な事だなぁと思った。
それと同時に、
私は深くそのグループの入り込むことを止めてしまった。
何故ならそんな事をしてもちっとも面白くないから。
「グループという単位」の友人は、所詮グループであり、
個別の友人ではない気がした。
というか、私と彼女らの間には元々壁があった。
全く理解出来ないという種類の壁。
この時期になってくると
学年の雰囲気は大きく2つに分かれる。
勉強する人と、全くしない人。
この2種類しかいない。
中間は存在しない。
そしてスルスルと離れていく。
同じグループの中でも、勉強する子しない子がいて
試験中だけは一緒に行動する仲間というのも誕生する。
友達という組織は面白いものだなぁと関心すらする。
勉強のスタイルは人それぞれ。
黙々と一人で勉強する人もいれば、
団体でギャーギャー騒ぎながらやる人もいる。
私なんかは半々状態なんだけど、
一緒に勉強する人がいるっていうのはいいなって思う。
一緒に同じ事覚えて、説明して答えてってそういうやり取り。
高校時代は黙々系だったので、
こういう一緒にっていうのも楽しくていいなと思う。
でもその為には黙々とやる時間も必要で
私の場合1時間周期でそれを繰り返しているので
純粋な黙々系の人は耐えられないらしい。
まぁ勉強のスタイルの話は置いておいて、
勉強をする人たちは本気で資格獲得に向けて頑張ろうと考える。
今まで目標として曖昧だった「保育士」という名称のものを
より身近なものとして捕らえ、
とりあえずやってみっか☆的思考になってくる。
向き不向きをこの年齢で見定めるのは難しい。
とっておいて損な資格ではないし
資格をとろうという姿勢自体が、一生懸命やるという事が
この先の人生において非常に大事だと思うから、
悩んでいて、勉強しそうな子には一緒にやろうと言ってみたりする。
そこでアレなのは勉強しない人。
半数くらいはそれに当たる。
元々付属高からのエスカレーターの人が多いし、
その付属高はお世辞にも勉強する学校とは言えないので
当然といえば当然の結果なのかもしれない。
(勿論付属高上がりの人でも勉強する人は沢山いる)
別段関わりのない人なら、どうぞご自由にといった感じだけれど
同じグループ内、または身近にそういう子がいる場合
なかなか難しいなと思う。
始めから「勉強なんかしたくもない」という意識をもった短大生に
勉強をした方が良いんじゃないかと促す事はかなり難しい。
勉強するかしないかは、個人の問題なんだ。
短大を続けるか続けないかと同じで。
悲しいのは
「勉強することが格好悪い」という風潮がある事。
必死になったり、真面目になったりする事を
「マジありえなくね〜?」とかいう言葉で片付けられると腹が立つ。
でもこの時期勉強する人側に入っている子は
「勝手に言わせておけばいい」と認識している子がほとんどなので
雰囲気としては完全に真っ二つの分かれている。
点数も(再試―60点台―80点以上)のほぼ3通りらしい。
私はどの辺かっつーと、
多分60〜80点台のビミョーゾーンだと思われる。
正直私は超頑張っているわけでもないが
全く頑張っていないわけでもない。
必死こいてやるのは前日付近だけだし、
今だって明日社会福祉と国語科概説があるのに
のんきに日記なんて書いている^^
でも今日はいいんだ〜☆
1限に授業終わって、それから19時近くまで勉強したから。
あっという間だったけどね(^ω^)
その後の日程がリアルにヤバイので心配です’`,、(’∀`)’`,、
学校で勉強→ドトールで勉強的サイクルになる可能性大だな☆
恋愛の話から全然全く関係ない話になってしまた☆
恋愛の話は、個人のプライベートの問題なので書きませんが
人の好きな人がすぐにわかってしまう私は
なかなか世知辛い感じの学生ライフを送ってます。
それが友達の好きな人関連とかだったりすると
マジウンコメンドー☆なんだよね^^
あー嫌だなぁって思う。
やれ、みんなが幸せになる方法はないものか。
ないな。
幸せな人が半分いたら
後の半分は確実に涙を流しているだろうから。
世界全部が平和で、幸せな事を望むのは悲しいことだろうか。
それは間違っているだろうか。
全ての人の幸せを願い、今、ほら打っている間にも死んでいく人が、
そういうの考えたらきりないけれど
でも福祉やら養護の仕事をしていると考えないわけにはいかない。
平等は理想論だろうか。
ノーマライゼーションが浸透することは難しいのだろうか。
何故全ての人が全ての人の幸せを希求しないのだろうか。
どうして世界が平和になる方法を検討しないのだろうか。
社会福祉は大きな課題だと思う。
福祉という言葉は本当に広い。
そして自分の小ささに涙が出てくる。
何て無力なんだろうと思う。
私一人で世界は動かせない。
その現実。
福祉に関してはまたいつか書きます。
書きたい事がありすぎて溢れそうだーうおー
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